不健康でも母である

精神的な部分も含め、自分の思ったことを正直に更新しています。

アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉


アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉
アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉
ダイヤモンド社


「劣等性」と「劣等感」は違う。

劣等性とは客観的な事実。

劣等感とは主観的な思い込みであり、誤りの領域である。

「~だからダメだ」では無い。ダメだと思うなら目標を立てよう。

人は劣等感を持ち続けることに我慢できない。

そこで、劣等感を解消しようと次々目標を立て、休みなく自分を駆り立てる。

劣等感をエネルギー(目標)に変えることで、成功の基礎になる。
しかし、劣等感を課題の先送りに変えてしまうと、問題が生じてしまう。
劣等感は、成功の基礎となり、同時に、あらゆる問題の基礎である。
課題を先送りし続けることで、コンプレックスに変化する。
コンプレックスが出来ると人は、そのコンプレックスを理由に逃げ惑う。


勇気がある人は、努力して険しい道を乗り越える。

勇気がない人は、努力を避け、楽ちんな抜け道を探す。

抜け道の先に待っているのは、みじめな未来でしかない。

勇気とは、

  • 「自分には他者に貢献する能力があり」
  • 「他者から必要とされる価値がある」

という感覚です。


勇気を失った人は、傷つくことを恐れ、コンプレックスの道を選ぶ。
勇気がある人は「困難を克服する活力」を持っている。
この差で将来、有益があるか無益になるかが決まる。


甘やかし以上の悪はない。

子どもをパラサイト(寄生虫)にするからである。

自分では何もしないくせに賞賛を求めるため、嫌われてしまう。

親や教師から勇気をくじかれた子どもは、
「貢献できない。価値がない。」と思い込む。
その結果コンプレックスに走る。
甘やかされた子どもは、課題を解決する力がないため将来が辛くなる。


「もしもAだったらBしたのに」は人生の嘘である。

順番が逆なのだ。

「Bでの失敗を避けるためにAを作り出した」のだ。

  1. 「お金が無いから」「時間がないから」「才能がないから」
  2. 「もしもお金があったらしていた」「時間があったらしていた」

それは口実で、あってもしない人が多い。


口走った時は気をつけよう。


病気になれば、課題から逃れ、家族を支配できる。

病人がこの便利な手段を手放すとは考えにくい。

「疾病利得」という言葉がある。


病気になることで得る利益のことであるが、
「確かに病気は苦しいものである。しかし課題を解決する際に(解決できなくて)
自分に価値がないと見えないために大きな苦しみより今の苦しみを選ぶのである」
とアドラーは語っています。
便利な症状に逃げていないか、手放すのが難しいと思う場合もあるだろう。
しかしそれは課題から逃れているだけである。


勇気がある人は、自分の課題を解決する。

そして、他者に貢献する。

他者に依存したり、支配したりはしない。


アドラーは勇気をある人を「普通の人」と呼んでいた。
「普通の人は、人生の課題や困難がやってきた時に
それに対応する充分なエネルギーと勇気を持っている」
「勇気がない人は、自分の課題から逃れるために、
他者の協力-友情、労働、愛を搾取しようとしている。」
しかし勇気というエネルギーが足りない時だって人間なのである。
そういう時は、勇気を補充しよう


勇気がある人は、簡単に友達を作る。

職場、趣味の場で、周囲と上手くやっていく。

自分のことばかりでなく、他者にも関心があるからだ。

勇気の有無は、容易に他人と結びつけるかどうかだ。
周囲を敵だと思わず、味方だと思っているのが勇気のある
逆の場合は、勇気のない人だ。


仕事の課題で上手くいかない人は、
顧客や同僚が「仲間」である、という前提で接すると良い。
仕事の課題の基本は、交友の課題でもあるからだ。


「人生には 3つの課題しかない。」とアドラーは言いました。

  1. 仕事の課題
  2. 交友の課題
  3. 恋愛の課題

⑴が上手くいかない時は、⑵を見直してみましょう。
上司や同僚が喜ぶ事をし、相手の利益になることをして交友を深めます。
先払いすることで、後から利益が帰ってくるでしょう。
敵と思っているの環境での仕事はいつまでたっても課題の山積みです。


例え失敗しても、勇気がある人は傷つかない。

いつか必ず克服できる。そう知っているからだ。

失敗することは問題じゃない。その後どうするかである。
勇気がない人は、逃げてしまう。
周囲を敵だと思っているか、味方と思っているかで大きく違う。
敵だと思っている場合は、責められると思うだろう。
味方だと思っている場合は、見守ってくれると安心して立ち向かえるだろう。


共同体感覚とは、

他者を喜ばせることに、喜びを感じる心。

奪うことより与えることに、喜びを感じる心。

人が幸福に生きていくためには、
勇気という共同体感覚が必要となります。
他者を助け、喜ばせ、与えることに、喜びを感じましょう。


結婚は、あらゆることが思い通りになる天国ではない。

結婚の課題は、通常の対人関係となんら変わらない。

夫婦は、相手を喜ばせることを喜びにしなければならない。

「夫は嫁にとっての仲間でなければならない。
そして、嫁を喜ばせる事を喜びにしなければならない。
それぞれのパートナーは、自分自身よりも相手により関心を持たなければならない。」
アドラーが対人関係の基本においている「交友の課題」そのものである。
仕事の課題も、恋愛の課題も、突き詰めれば
相手を信頼出来る仲間であると考える交友の課題が基本である。
恋愛も結婚もごく普通の人間関係なのである。


共同体感覚が高い人は、

相手を尽くし、与えるだけではなく、

自分も援助してもらう勇気がある人だ。

共同体感覚があるということは、喜んでた他者を助け、
他者が喜ぶことを自分の喜びとするということです。
つまり、他者を敵ではなく仲間と思うことが大切である。
SOSを仲間に言えるということは普通ではなかろうか?
もしそれが出来ない場合は、仲間だと思えてないということ。
相互信頼している仲間には、堂々と支援をお願いしよう。


「自分は集団なしでは生きていけない。」と認め、

「自分は集団の一部である」と考える人だけが

共同体感覚を高めることが出来る。

ここで言う集団の一部であるとは、会社や組織のことではありません。
共同体感覚の発揮とは、目の前の組織の言いなりになることではなく、
「皆が本当に幸せになるにはどうすればいいのだろうか?」
と考え、行動することです。


「これが正しい共同体感覚だ」という絶対的な真理はない。

コモンセンス(共通感覚)がそれに代わるだろう。

コモンセンスは、私的感覚に比べて常にほとんど正しい。

共同体感覚に正しいものは無い。
常に動き続けている社会で共同体感覚も変化していくであろう。
心理学に絶対的な真理はない。
多くの意見を聞き、コモンセンスから正しい選択肢を選ぶことが大切だ。
そのためには、仲間を信じ、SOSを出せるようになることも必要である。


 激しい感情を頻繁に使う人は

強い劣等感を持っていることが分かる。

方向性に自信が無いから、感情が必要なんだ。

私たちのコモンセンスがズレていなければ、感情の衝突はない。
その証拠に、通常の感情は激しい感情ではない。
しかし強い劣等感を持っている人は、感情の衝突が多いために、
頻繁に感情を表してしまう。
感情を表すことで正当化をしようとしているのだ。


感情には二種類ある。

「人と人を結びつける感情」と

「人と人を引き離す感情」だ。

上機嫌な人の周りには人が集まってくる。

「引き離す感情」とは、怒り、嫌悪、悲しみ、不安、嫉妬など。
「結びつける感情」とは、喜びです。
そして「人を結びつけることも出来、引き離すことも出来る感情」は羞恥心です。
喜びの周りに人が集まると言うとイメージがしにくいですが、
楽しい雰囲気には人が集まると思うとイメージが出来ますね。


嫉妬は、頻繁に利用される感情だ。

相手の自由を奪い、自分のルールに従わせる。

相手を召使いへと格下げし、自分は王になる。

嫉妬には2種類の嫉妬がある。
拘束し確保する、よそに逃げないようにする「束縛」
価値低減傾向の優越感コンプレックスによる、相手を格下げし、「王」になるもの。
しかし恋愛だけでなく、嫉妬は職場でも発揮されることがある。
それは相手を貶め、排除するという嫉妬です。
どんな方法でも、相手の幸せを思わない行動のため、喜びには繋がらず、
人を引き離す感情になってしまうのできをつけたいものですね。


「怒り」は相手を捩じ伏せ、支配するために使われる。

相手を犠牲にして自尊心を高める、安っぽい方法である。

しかし、しばしば上手くいく為、常用される。

嫉妬以上に使われる感情「怒り」
主に使われる理由としては「支配」です。
最も容易に他者を支配できるため、使われやすいですが、
支配したとしても、いざと言うときに協力者になることはありません。
力で捩じ伏せても、上手くいくことは無いので冷静に話し合うことが重要です。


アルコールが人の本性を変えるわけではない。

飲んでいない時に上手に隠していた本性が、

気の緩みとともに、表に出て来てきただけである。

お酒を飲む事で人格が分かるひともいるが、
アドラーから見るとお酒を飲む事で、
普段隠している(抑えている)人格が出てきているだけである。
お酒に酔ったときが自分またはその人の人格である為、自己分析にもってこいであろう。


感情を言い訳に利用してはならない。

つべこべ言わずに、やるべきことをやるのだ。

あなたがどう感じるかなど、関係ない。

アドラーらしくない文面ですが、これにも意味があります。
感情で背中を押し、できないことを正当化しない。
淡々と作業を行う事が大切だが、どうしても感情が出てしまう場合は、
他者のコモンセンスから共同体感覚に沿った方向になれるように考える。
それが課題回避ではなく、課題解決になる。
つまりは、「やりたくない」も相談することで緩和されるかもしれないということだ。


感情を変えようとしても無駄である。

感情の根本にある性格を変えるのだ。

性格を変えずして感情を変えることはできない。

起きた出来事についてどう思うか、考え方は人それぞれである。
アドラーの認知論は、認知行動治療にも行われている。
その「認知」に強い影響を及ぼす信念の体型をライフスタイルと呼んでいる。
ライフスタイルを変えることは、性格を変えることである。
性格を変えることで、感情も変わっていく。


勇気づけとは、

自分には貢献する能力があり、価値がある

と相手が思えるようになるための働きがけの全て。

人は誰かを手助けした際に、お礼を言われるといい気分になりやすい。
それは勇気に繋がるからであり、お礼を言うことは相手の勇気づけになる。
しかし、操作しようとしていう嘘のお礼などは勇気をくじいてしまう。
嘘のないお礼や感謝、挨拶で人を引き付ける行動をしながら、
相手を勇気付ける事ができると素晴らしい。


世話焼きは勇気くじきである。

世話焼きとは「どうせ無理でしょ」と手を貸す事。

勇気づけは自立させる事。

「きっとできる」と見守る事。

子どもを甘やかすのではなく、手出し口出しをせず見守る事で
経験から学ぶチャンスを与えることができます。
課題解決の訓練の機会を奪うのではなく、そっと見守ることも大切です。


「失敗」という経験が問題なのではない。

出来ないという「思い込み」が問題なのだ。

勇気が挫かれたことこそが問題なのである。

人は必ず失敗をする。失敗が問題なのではなく、
「自分には出来ない」など自分を過小評価する事が問題なのである。
「トラウマに苦しむのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」
もう出来ないではなく、失敗を経験にし、次に活かす事が大切。


褒めてはいけない。

褒められて育つと、人の目を気にするようになる。

常に顔色を伺う、臆病な人間になってしまう。

「すごいね」と褒めると、すごい人にならなければと課題が増える。
「ありがとう」と感謝をすると、人助け(勇気づけ)の出来る子になる。
子供がいいことをしたときは、褒めるのではなく、感謝を伝えよう。


緊急時には「勇気づけ」なんて放り投げろ。

溺れていたり、ビルから落ちそうなら、まずは助けろ。

勇気づけや教育はそのあとだ。

アドラー心理学の勇気づけは、相互尊敬と相互信頼があれば、
企業での対人関係、人材育成にも有効です。
しかし、クレームなど緊急時に勇気づけをしても意味はありません。
まずは緊急事を対処してから勇気づけをする事が大切だ。


音楽でも、ダンスでも、何でもいい。

上手に出来たという体験を、ただ1つ作る事。

その体験が、他のこともきっと出来るへ繋がる。

1つのことができれば、他のこともうまくいくものである。
これは教育にも人生の他の面についても当てはまる。
興味があることにチャレンジし、自信をつける。
成功体験が次の自信に繋がっていく。


まず一人と共同体感覚を築き、体験させること。

その体験を広げるのだ。

母から父へ、兄弟姉妹へ、友達へ。

相手の共同体感覚を高めたいなら理屈を言っても無駄です。
実際に相手と築いていく事で「出来た」と勇気付けることができます。
言うのではなく実践で気づいてもらおう。


「明日、誰をどのように喜ばせようか」と考えれば、

あらゆる問題は解決する。

ビジネスも、お金も、友人関係も、恋愛も、家族も。

共同体感覚は、成功と失敗、幸福と不幸など全てを分ける基準となります。
つまり、あらゆる問題の原因は共同体感覚の不足によるものです。
明日の課題を、誰を喜ばせるかと言う楽しさに変えることで、
明日への自分の気持ちも明るくなる。
そして行動するための勇気になり、明日の誰かの勇気にもなる。


問題を除去しても、形を変えて次の問題が現れるだけ。

根底にある誤った性格に、唾を吐きかけるのだ。

どこで謝ったのかを理解し、新たな目標を再構築するのだ。

例えば、仕事で失敗をし不眠症になった人は、
眠剤を導入することでねれるようになっても次の症状が出てくるだけ。
根底にある問題を変えなければ、一何さってまた一難と増えていくでしょう。
周囲にいる人は仲間だ、失敗のアドバイスをもらおう。
できないのではなくできなかっただけ、次はできる。
そう思い、行動するだけで道は大きく変わっていく。


心を変えるのだけでは不十分だ。

行動するのだ。誰かが始めるのを待つことなく、

あなた一人で始めるのだ。メリットなどなくても。

非協力的な雰囲気だからしないではない。
それを言い訳にしてはいけない。自分から変えていくのだ。


環境があなたを作る。

そして、

あなたが、環境を作る。

私たちは、誰でも、いつでも変わることが出来る。
環境が人間を作るのか、人間が環境を作るのか。
それならば、自分から動いて環境を変えていこう。


この本では、劣等感(コンプレックス)から勇気づけ、
感情による人との関係、共同体感覚、行動する勇気まで全てが載っていました。


私が公開したものは、ほんの一部です。
また引用以外は私の解釈であり、本の内容ではありません。


これを読み、私は、感謝をし、相手のことを考えることで
将来が変わっていくと感じました。
皆様はどう感じたでしょうか。
気になった方は、是非図書館などで借りてみるなどをして読んで見てください。
読みやすい本だと思いましたよ。